Wednesday 22 January 2014

適性検査

これを読んでくださるみなさんは、適性検査・様の、簡単なテストを受けたことを思い出せるだろうか?
1965年生まれの私は、小学校、中学校まで、毎年1回は、全校一斉に、能力検査だか何だか、そんな名称でテストを受けた記憶がある。
就職活動のときにも、同じようなテストを何度か受けた、そのときは、職業適性検査というような名称だったと思う。

私は、慣れの速さは決して速いほうではないし、手先はまったく不器用だが、
何か法則性を見つけたり、
2つのものの相違を見つけたり、
隠れているものの存在を考えたり、
ということは得意であったと思う。

たとえば、
AAABAAABAA○・・・という文字列を見て、○のところに来る文字を答えるとか、
1○2△3=0とすると、4○5△6は何になるか、
みたいな、ね。
私には難しかったけれど、考えるのが好きだったのは、積み木の総数を答えるというもの。何層にも積み重なっていて、後ろが見えないものでも数えなければならなかった。そういうテストは、脳の片隅がピリピリ、ヒリヒリするような感覚があったが、解いて、当たったときは嬉しかったものだ。

なぜ、こんなことを思い出したか?というと、
年を重ねての私は、自分の夫の『作品』『オペラ』と言える、家の中のものを見ては、間違い探し・様のことをやってしまっているからである。嫌味でやっているのではなくて、「あらっ!?」と気づいてしまうのだ。
彼は、私と違って、器用な腕を持っている。そして、砂漠の遊牧民のカーペットに対する審美眼、骨董品に対する造詣の深さは、他者を寄せ付けない。なのに、肝腎なところで、緊張の糸、集中力が切れるのか、しょーもないミスをしてくれる。
(まあ、それに気づくひとはいないけど、ね。誰しも、全体の美しさ、出来栄えを見て、彼にブラヴォー!を送るのである。)

1枚、向きが異なる。

組合せが違う。



これは、現在、作業中の仕事。濃紺のタイルは、向かって右が上のはず・・・なのに、一カ所だけ逆。




美的センスのある彼ゆえ、何か意図するところがあるのかもしれない・・・と思った私は、あえて、彼に尋ねてみた、「何か意図があるの?」「タイルの数が足りなかったの?」と。

が、彼は「いや、意図したことは何もない、どこかで集中力が欠けるんだろうな」と言っただけだ。
はあ、なるほどねえ・・・わからないわけでもないけど、ね。たとえば、編みもので、表編みと裏編みを交互にやっているはずが、いつしかずれてしまうことがあるもの。
まあ、何十年経っても、気づいていないということは、彼にとっては、どうでもいい間違いなのである。

してみると、私のような『あら探し』女に何も言われないで済むモザイクは、彼の自慢の作品であり、大好きな仕事だろう。